終戦記念日

今年ももうすぐ終戦記念日が来る。

そもそも、その日は終戦記念日ではない。日本というものを変えるためには、この終戦記念日という言い方を変えることが大事だ。

8月15日は終戦記念日ではなく、「敗戦は死ぬほど惨めで悔しいから、二度と負けないぞと決意する日」に変えるべきである。

戦争は悲惨だから、二度と戦争をしないと決意する日、これが終戦記念日の意味だ。

そもそもこれは全部間違いである。戦争が悲惨?なら、アメリカ、中国、ロシアなどは悲惨なのか?今でもしょっちゅう戦争をしているではないか。

日本人は本当に勘違いしている人間が多い。

戦争が悲惨なのではない。戦争に負けると悲惨なのだ。だから二度と負けてはいけないという事、そのための準備をする事が大事なのだ。

東京大空襲はなぜ起きたのか?それは負けていたからだ。勝っていれば、ロサンゼルス大空襲だったはずだ。

集団的自衛権の事を、「戦争法案」と言って反対していた人間がいる。では、今の法案はなんというのか?戦争をしない法案か?ならばその法案は、「皆殺しになりましょう法案」という事になる。攻めてこられて戦争しないと、皆殺しになります。常識です。

皆殺しになるか、戦争をして生き残るか?どちらを選ぶかという簡単な事ではないのか?

戦争なんて起きないとお気軽に考えている人は、そもそも世界の常識というものを理解していない、化石のような人だ。

中国では軍でも、大学でも「日本を絶滅させるためにはどうすれば良いか?」という学問が存在し、毎日研究されている。そういう事実から目をそらしていては、いつか対応できない状態は来るだろう。

日本は絶対に核武装するべきである。核兵器は悲惨だから、核兵器は世界からなくなればいいなどと、戯言を言ってたら、また同じ目に会うのがおちである。

核兵器が悲惨なのではない。核兵器を落とされると悲惨なのだ。落とした方は悲惨でもなんでもない。なぜこんな簡単な事に多くに人が気がつかないのか?

核兵器を落とされた我々が考える事はただ一つ、「二度と落とされないためにはどうすればいいか?」と考える事だ。

答えはひとつだけ。やられたらやり返す準備をしておく事だ。これ以外ない。

国際社会というのは、日本が考えているほどお気楽ではない。綺麗事の世界ではないのだ。万が一、中国が日本に核兵器を使用して日本が壊滅したらどうなるか?

何にも変わらない。アメリカが中国と戦争するか?ヨーロッパが中国と国交を断絶するか?しない。それどころか、多くの自動車産業を抱える国は日本車が売れなくなって大喜び、韓国なんて、対馬に侵略するだろう。小笠原はアメリカと中国が奪い合うだろうな。全面戦争を回避するために、おそらく分割されるだろう。

なぜ、全面戦争を回避する必要があるのか?それはお互いに核兵器を保有しているからだ。

核保有国が万が一核兵器を使用するとしたら、それは持っていない国に対して以外はない。絶対的な優位な状況をいつまでも作っていたい。だから、新たな核保有国を認めないのだ。それは世界平和のためではなく、自分たち核保有国の優位性を確保し続けるためだけだ。

国際社会に取って大事な事はたった一つ。それは自国の利益だ。それ以外、なんの興味もない。もしも日本が世界を圧倒する技術を開発し、例えば核兵器を無力化させるビームや、日本全体をカバーするバリアなどのようなものを開発したとする。これは絶対にアメリカによって、阻止されるだろう。アメリカに取って、日本は自国の壁として、いつまでも自分たちの子分であり続ける事以外、日本に価値などないと考えている事は間違いない。

アメリカが日本のために戦争をする事は絶対にない。日本のために戦争する事が、自国の利益になる場合だけ、戦争するだけだ。

戦争は負けてはだめだ。惨めでいつまでも他国からガタガタ言われる国になる。

自分の国は自分で守る。戦争はしないなどという「万が一攻められたら皆殺しになる準備はできています。」という今の状況がいかに危険かという事を理解し、核武装し、ICBMを配置する事だ。中国や韓国は間違いなく反対するだろう。

そもそも、中国、韓国が反対する日本の法案は全て日本にとって利益以外の何ものでもないという事を理解しておく事は大事な事だ。

私はなぜ、唯一の被爆国でもある日本が堂々と核保有を宣言しないのか?どうしてもそれが 理解できない。

もしあの時、日本が核兵器を保有していたら、アメリカは日本に核兵器を使用したか?答えは一つしかないはずである。

日本は核兵器のない平和な世界?(そもそもそれが平和とは絶対に限らない)を目指すのではなく、二度と核兵器を落とされない平和で安全な国になるための準備をするべきである。