フルサイズカメラの素晴らしさ

いよいよ、フルサイズカメラを使う様になった。ついでにレンズも一本、フルサイズ用を買った。PENTAXのK−1とタムロンの標準ズームである。

その表現力の素晴らしさに、声も出なかった。こんな世界があったとは思わなかった。

フルサイズカメラは重い。だが、そんな重さなどどうでもよくなるほどの素晴らしい表現力と描写力がある。約半年間、フルサイズかAPS-Cの上位グレードにしようかと悩んだことがいかにバカくさかったかと痛感した。

所詮、カメラは趣味だ。趣味は最終的に物欲である。極めなければ満足しない。だから最終的にいつかはフルサイズに行くのである。それならば、一瞬でも早く買っておいたほうがいいのだ。

フルサイズのセンサーが取り組む光の量は圧倒的だ。だから実に生き生きした写真が取れる。

カメラは奥が深い。これからもっともっと勉強して、素晴らしい写真が取れるようになりたい。カメラなど、i phoneので十分だという意見はよく聞く。ただ、一度でも一眼レフカメラの写真を撮ってしまうともう、二度と戻れない。

一眼レフカメラの写真は、見た風景以上に美しい風景を残してくれる。この一点に尽きる。

今後は美しい風景をすべて、フルサイズカメラで撮っていきたい。ワクワクしている。カメラが唯一の趣味となった。

 

忖度はなぜ悪いのか?

例えば今回、山口県は安部総理の地元であり、福岡は麻生大臣の地元である。だから絶対に新しい橋は作ってはいけない。というのは逆忖度になる。

忖度はだめだが、逆忖度はいいのか?要するに忖度などどうでもよく、その橋が本当に必要なのかどうかという事が一切議論されていない。

そもそも、忖度がだめなら、一切の陳情は受けられない。陳情は忖度によって決まるからだ。

ま〜ね〜、偉そうにインタビューする記者連中なんて、朝から晩まで、会社や上司に忖度しっぱなしだろ?上司のよく言う部下を怒るセリフが「全部言わなきゃお前はわからんのか?」というやつがある。俺の気持ちや状況を忖度しろよという事ですよね。

はっきり言おう。忖度は良い事である。賄賂が発生していない。中国を見てろ。賄賂のない陳情などおそらくないだろうよ。

日本の総理大臣の地元に橋を作る。いいじゃないかそれくらい。たとえ忖度でも。

新潟を見てみろ。いらないところまで橋がかかっている。田中角栄のおかげだ。忖度どころか賄賂や利益誘導だらけだっただろう。ところが今、田中角栄は非常に人気が出てきている。一体どういう事だ?

例えば選挙で現役議員は、過去の実績を訴える。過去の実績を民衆に示して、「忖度して私に入れてください」と言っているのだ。

そもそも賄賂は犯罪だが、忖度は犯罪ではない。忖度ごときで鬼の首をとったごとく批判し続ける野党には、未来はないだろうな。

織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、皆、日本の英雄である。しかしその前に、彼らは皆人殺しである。殺人者だ。時代が違うといえばそれまでだが、人を殺した人間が尊敬されるなら、忖度くらいいいじゃないか。

日本という社会に忖度は必要だよ。

私はよく、引越しなり、家電の修理なり、ともかく職人さんに何か頼んだ時は、まず最初に、「ご苦労さん、美味しいものでもお昼に食べてくださいね。」と2000円をあげる事にしている。皆、「とんでもありません」と一旦は断るが、強引にポケットに入れると、ポケットから出して返してくる人は一人もいない。

そこにはいくつもの美しい忖度がある。受ける側もあげる側にもだ。それが日本だ。

 

 

 

テレビのつまらなさが加速している

毎回毎回、同じ面子のクイズ番組。こんなもの、再放送を見ているのと何も変わらない。

30本くらい撮り溜めして、ぐるぐる回してもおそらく視聴率は変わらないだろう。ワイドショーのつまらなさも、加速している。お笑い芸人他のコメンテーターが同じような事を言う。どの放送局も同じである。

私はそもそも、ワイドショーはやめたほうが良いと思う。狭い日本で、毎日毎日、2時間の放送枠を埋める事など、基本的に不可能だ。放送作家の苦労を考えると、かわいそうになる。なんの事件もない日の放送に向けて、放送作家のプレッシャーときたら、察して余りある。

だから、くだらない政治問題を長引かせるのだ。政治の問題は、永田町に取材に行けば良いので、そもそも経費がかからない。沖縄で事件があると飛行機代がバカにならないので、大変だ。また政治家は公人なのでなかなか名誉毀損で訴えられる事もない。一度起こったスキャンダルを喉から手が出るほど欲しがるのは、おそらく放送作家だろう。何も放送する事がなかったら、首になるのは間違いなし。最後の最後は多摩川のタマちゃんしかない日もある。

ネタをつくれと上から怒鳴られ、ノイローゼになるくらいなら、いつまでもいつまでも政治のスキャンダルを引っ張る事の素晴らしさに頼るしかなくなるのだ。

お昼は、昔のドラマの再放送で良いのだ。

 

1日1食、11日目

運動はしていたので、全くと言って良いほど、血圧、体重に関してはチェックをしなかった。大丈夫だと思っていた。

1年ぶりくらいにふと血圧を測ったら、180−120 何度か測ったら上が200を超えた。思わず、やばいと思った。

最近、夜心臓がバクバクする事があったが、もしかしたらこれが原因だったかと焦った。その日から1日1食を実践する事にした。

体重はその時61キロ、血圧は書いた通りだ。

1日1食は私には実に理にかなった健康法である。過去にも一度、10日間やった事があったが、効果抜群であった。

今回、昨日で11日目となったが、体重は58、8キロ、血圧はおおよそ140−90になった。お風呂上がりの時などは115−75である。ほぼ完璧。

まさに恐るべし1日1食である。夜の睡眠時間も6時間あれば問題なくなった。昨日より朝、1日分の野菜ジュースを二本飲む事にした。しばらくこれを続けようと思う。

自分の腹がまだ出ているのが気に入らない。理想的な体になりたい。いつまでも動ける体でいたい。そのためには、節制してでも自分を管理しなければと思う。

血圧は、自分でコントロールできる。私は死んでも降圧剤を飲むつもりはない。あんなもの体に良いわけがない。自分の体を一生、薬で管理するなどいやなこった。

1ヶ月も続ければ、血圧はおそらく120−75になるだろう。体重もおそらく56キロ台になるはずだ。そうなったら、完璧な1日1食はやめようと思う。もう1日3食に戻すつもりはないが、たまには2食の日も作ろうと思う。何事も無理はよくない。

今は、死ぬか1日1食かという状態なので、1日1食を選んでいる。もう少し続けるつもりだ。

残りの人生を常に頭の中に入れておく事

私はもうすぐ59歳になる。そしていよいよ来年は60歳だ。もう自分が60歳になった時の事をまず考えておこうと思う。

そうすると、まともに現場で働けるのはせいぜい5年、よくても10年だろう。もちろん、今よりも能力的に落ちる事は間違いない。

私は何歳まで生きるのだろうか?何歳まで働くのだろうか?今まで漠然と自分はいつか死ぬし、いつか仕事をやめると思っていたが、それをもっと具体的に考えるようになった。

死ぬのは少し怖いのであまり考えないとしても、笑、仕事はどんなに長くてもあと10年だろう。まともには考えるとあと5年か。30歳、40歳の頃は、自分はいつまで働くのだろうかと思っていたが、今60歳を前にして自分の残りの仕事人生がいかに短いかという事にようやく気がつくようになった。

そして私は決断した事がある。残りの仕事人生は信じられないくらい短い。ならばその短い時間の中で1秒だって嫌な思いをしたり、心配したりするのは嫌だと思うようになった。要するに老人はだんだんわがままになってくるというやつだ。

その意味も今理解できるようになってきた。悲しい事かもしれない。今まで人に対して遠慮して言えなかった事も、「どうせ短い人生だ」という事でずけずえ言えるようになってきた。逆に良い事かもしれない。

ともかく、今年から私は大きく変わった。それを飛躍の一年と捉えるようにしていきたいと思う。

常に変化する世界に備えよ。

常に世界の変化に対応し、未来に備える。これこそが経営者の仕事だ。逆に言うとこれ以外には仕事はない。

近所のTSUTAYAの店舗が撤退した。10年前誰が想像できただろうか?日本で一番多くの人が持っているカード、それはTSUTAYAカードだったと思う。みんなレンタルを利用し、映画を見ていたはずだ。

時代は変わる。おそらくTSUTAYAは生き残れないだろう。絶好調の時、次のネット時代に何が起こるかを予測し、もっともっと変化に備えるべきであった。

いくら努力しても時代の流れの中で衰退していく業種というのはある。これは仕方がない。そこにしがみついていても意味がない。CD、紙の本などもいずれ、姿を消す日が来るだろう。努力ししがみつくのではなく、変化に対応するべきだ。

業務用エアコンクリーニングに、私は未来を感じない。なぜなら今に、強烈なまでの価格競争が繰り広げられる事は火を見るよりも明らかだからだ。

業務用エアコンクリーニングは3万円の洗浄機を買えば、誰でもできる。(本当はもっといいものを買うほうがいいが、所詮お客様にはわからないだろう)だから、みんな参入してくる。おそらく1台1万円になる日も遠くないだろう。エアコンの仕組み、ガスの種類や構造などを知らなくても誰でもできる。しかも資格もいらない。

私はもう、事業の柱に業務用エアコンクリーニング事業を外す事にした。

現在は

1 プラニソールM販売事業

2 花屋用ショーケース販売取り付け

3 エアコンフィルター交換、点検事業

この三つにした。理由は簡単である。

どれも他社が簡単に参入できない分野だからだ。

エアコン洗浄、取り付け事業はいずれ全て外注に切り替え、手数料商売にするつもりだ。

 

1日1食生活

最近、不摂生な生活を続けていた。週に1〜2回、夜に外食したり、お昼を外食したりしていた。

運動もそんなにせずにいて、旅行帰りに体重も2キロ近く増えていた。

づっとはかっていなかった血圧を計ると180の120だった。やばい!

でも絶対に薬は飲まない。薬に殺されるだけだからだ。

一念発起して、1日1食生活に昨日より切り替えた。実は昨年も10日ほど1日1食をして体重は落ち、血圧もほぼ正常に戻ったのだ。

理論的に正しい事がいっぱいある。

まず1日1食だと、絶対に塩分、カロリーが少ないから痩せる。また慣れてくると別にそんなに辛くもないので、ライザップよりも楽だ。しかも夜のご飯が非常に楽しみになる。いい事ばかりだ。

体重を58キロ台まで落としたい。そうするとあと4キロくらい落とす必要がある。とりあえず、1ヶ月くらいは続けるつもりである。

60歳を前にして思う事。

私は来年60歳になる。

今までの人生を振り返り、これからの残された人生を思う時、これからの人生の時間のほんの一瞬でも嫌な思いをする事が嫌になってきた。

少しでも嫌な奴とは絶対に無理して付き合わない事にした。

なぜなら、人生の貴重な残り時間の中で少しでも嫌な思いをするのが耐えられないからだ。

もう、遠慮して、言いたい事を言わないという事はやめようと思う事にした。

 

憲法9条が、日本を戦争から守っているのでは決してないと言う事。

憲法9条があるから、日本は平和なのだと言っている人がいる。

冗談言うなと言いたい。

これは根本的に、完全に間違っています。

憲法9条は、いわゆる戦争放棄である。このどこに、抑止力があるというのか?

日本以外の近隣諸国、例えば、中国、ロシア、韓国、これらの国に憲法9条があれば、日本は安全です。平和です。相手は戦争放棄していますから。

しかし、どういう頭の構造だと、日本が戦争放棄をしている限り、日本は安全であるという理論になるのだろうか?

例えば学校で、いじめに苦しんでいる生徒が「僕は絶対に人をいじめません。」と言えば、いじめは無くなりますか?いえいえ、逆にひどくなるでしょう。

その学校で、いじめに参加している生徒が「僕は絶対に人をいじめません。」と言えばいじめは無くなります。しかしいじめられている本人が言っても、屁のツッパリにもなりませんよ。簡単な理論だと思いますけどね。

日本の平和はアメリカ軍が守っています。これは事実なのでどうしようもない。日本は今もアメリカの植民地です。これも間違いありません。ただ中国の植民地になるよりははるかにマシなので、この選択をしているだけです。

憲法9条があるので、拉致被害者を日本は武力で奪還できないのです。誰もこの事を論じない。ある自衛隊員は、「命令さえあればいつでも行く心構えはできている。」と言っています。頼みしく、本当に日本の誇りだと思います。

最近の韓国の無礼な態度には、本当に胸糞が悪くなります。戦前の日本であれば、間違いなくソウル侵攻、陥落させています。しかし敗戦国の日本には憲法九条がある。だから絶対に武力攻撃される事はない。。。。

そりゃね、舐められますよ。遺憾の意だけでしょ。それならレモンのレでもいいし、ドーナッツのドでも同じです。なんの意味もない。

経済的な制裁をすると日本も被害を被ると言って反対している人がいる。バカを言うなと言いたい。金で買えないものもある。一番大事なものは金では絶対にない。

国家の誇りを無くした国は絶対に、衰退し侵略され淘汰される運命です。

多くの人に気づいてもらいたいところです。

 

民主主義の限界

最近若い議員のトラブルが多発している。なんでも魔の三回生なんて呼ばれているらしい。私は、常に民主主義には限界がある。または民主主義は間違える。といつも思っている。

国の舵取りは、できれば、組織の中で勝ち上がって行った人間にしてもらいたい。選挙などどうでもいいことだ。なぜなら、私は全ての候補の人間性や、能力を理解して投票しているわけではないからだ。

日本の企業のトップがもしも社員の選挙で決まるなら、多くの企業が倒産しているだろうと思う。トップにたつ人間の厳しさというものを、社員はきっと理解できないからだ。

選挙は、素晴らしいシステムだが、万能ではない。いや、逆に欠点だらけである。

一般市民はみんな、忙しい。自分の生活のために毎日死に物狂いで働いている。政見放送など、全て見ているほど暇ではないのだ。そうすると結局、タレントやアナウンサーなど知った顔に投票しようと思うことは自然のことなのだと思う。

多くの事務次官が優秀なのは、選挙で勝ち上がったからではないからだ。組織の中を勝ち上がってきた人間は、だいたい優秀である。ある意味、中国の政治システムの方が、はるかに勝っている気もする。

そもそも日本という国は、「おらが国の殿様」というシステムだった。殿様は、皆選挙で決まるわけではなかった。血縁である。このシステムの方が、安定することも多いのだ。